素晴らしき仏人権宣言4条の世界

フランス人権宣言4条の世界とは、個々人の活動に社会的意味を与えず、完全に自由にしておくということである。そこでは意味も無意味も、生産も無駄もない。ただ人がそうある、というだけである。それぞれの活動を社会的意味につなげるということをしない。個人がたまたま生産したものが社会の共有財産になることはあっても、社会の共有財産を生産するために個人に生産的であるように圧力をかけることはしない。そのような社会こそ、本質にかなう。人権宣言4条の世界であれば、生き死ににいちいち意味があるわけがないから、突然他界したらそれは不幸だったということで処理される。そこまで生きたということ自体がただ素直に評価されるだけである。気が軽くてよい。人間が突然他界したら、周囲から、人生リスクがどうとか、計画が狂ったとか、投資がパーになったなどという観念が飛び出す時点で、今の日本社会はおかしいのである。

それができなければ

お上中心主義の律令法を明文化してください。一見基本権を認めるような書きぶりで、その実、基本権をないがしろにしているのが今の日本法です。戦前、天皇大権の下に国民の権利がないがしろにされていたとすると、戦後は政官財による空気の支配の下に基本権がないがしろにされているといえます。

フランス人権宣言4条の世界を

正しいシステムとは、他人の自由を害しない範囲においてすべてをなしうる権利を個々人に認め、最低限の共同利益のほかは共通の価値観を設定しない社会です。つまり、フランス人権宣言4条の世界です。これに対して、日本は、稠密な法制度が存在する上に、様々な社会観念によって人々が拘束されています。このような社会は不正義です。