犯罪をしても犯罪にならないことがある

それは、次のような場合である。(ア)まず、犯罪をしても、捜査機関が関知しない場合である。たとえば、住居侵入窃盗をしても、家人も近所もそれに気づかないとき、すなわち、犯罪の事実が社会的に消えているときである。(イ)また、警察署等に拘置されても、証拠不足などで最終的に送検されなければ、犯罪にならない。(ウ)最後に、刑事訴訟法第247条「公訴は、検察官がこれを行う。」およびその判例、第248条「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」により、当該公訴の判断が職務犯罪を構成しなければ、犯罪を起訴するかどうかの判断は検察官の裁量に委ねられる。逆にいえば、犯罪を起訴するかどうかの判断は、検察官の自由である。したがって、犯罪があっても、検察官が起訴をしないと判断すれば、犯罪にならない。逆に、犯罪をしていないのに、犯罪になることがある。(障ネ)まず、私人が濡れ衣を着せる場合である(可能である)。たとえば、痴漢をしていないのに、痴漢をされたような演技をして、人を警察に突き出す女がいる。被害者が「女が痴漢をされた演技をした可能性がある」などという主張をせず、手続のベルトコンベアに運ばれて、自白まがいのことをしてしまうと、それがそのまま事実として採用され、有罪になってしまう。また、軽微な犯罪が横行しており、普段はそれを見逃しておいて、社会的に抹消したいターゲットの犯罪のみを目ざとく取り上げて起訴までもっていくという差別的起訴なども合法化されている。(障ノ)また、捜査機関が証拠を捏造する場合もある。これも「証拠に捏造の可能性がある」などという主張をせず、自白まがいのことをしてしまうと、有罪になってしまう。このような場合は、たいてい裁判官とグルである。(障ハ)最後に(ウ)でみたように、公訴は検察官の裁量であるから、常識的に犯罪に当たらないのに、検察の都合で公訴される場合がある。この場合、裁判官と検察にコネクションがあると、有罪になることがある(ただし、大野病院事件のように、社会的なブーイングが起こった場合は、やむなく無罪にすることがある)。以上のとおり、当事者の知能次第では、犯罪を犯罪でないとし、犯罪でないのに犯罪とすることができるなど、穴だらけの法令である。